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2012年12月28日

第23回 アルカラ・デ・エナレス

はろはろ!こんにちは〜!“よっぴ”の「パラドール紀行」です。
今回はマドリードから30km、車でも電車でも30分足らずのアルカラ・デ・エナレスのパラドールを紹介しましょう。

第23回Alcala de Henares
名称「”Alcala de Henares”」アルカラ・デ・エナレス

前回のオンダリビアのパラドールはレストランを持たない唯一のパラドールでしたが、かつてアルカラ・デ・エナレスの町にはパラドールの中で唯一宿泊施設を持たなかったレストランのみ(これをオステリアHosteriaと呼びます)の施設がありました。
このオステリアHosteriaは中世からの大学町であるアルカラ デ エナーレスに16世紀創立されたサント ヘロニモ校を改装し1929年にパラドールチェーンの中で2番目に古い施設としてオープンしたものでした。

新しいパラドールは、2009年に、この小さなオステリアHosteriaを旧館とし、向かい側にあるサント・トマス学校兼修道院を改装して生まれ変わったものです。
全128部屋を持つこの比較的大きな規模の新館のパラドールは、建物は17世紀に建てられたものですが内部は修道院の回廊に沿ってレストラン、カフェテリア、朝食用の食堂、サロン、バー、そしてスパが作られており、伝統的なものを残しつつ超モダンなデザイン性の高いつくりとなっておりビジネスマンのためのコンベンションセンター、無料のワイヤレスインターネット接続など滞在のための最新の設備が備わっています。
少し驚かれるかもしれませんが、ヨーロッパには数百年前の石造りの堅固な建物が数多く残っており、このように一見外側は古い歴史的な雰囲気でありながら内部は全く新築の建物であるかのようにリノベートされたホテルや事務所、住居がとても多いのです。

名称にもあるように此処はアルカラ・デ・エナレスの大学構内にあります。 町は1508年にシスネロス枢機卿によって創設された大学を中心として栄え(1836年にマドリッドに移転)、大学と歴史地区はマドリッド自治州内では初の文化遺産に指定されました。 この大学は語学教育に特にすぐれていて1517年には世界最初の数カ国語の対訳聖書が刊行されています。 また、ドン キホーテで有名なセルバンテス生誕の地であり、生家は現在セルバンテス博物館になっています。

新館のパラドールの向かいに元々あったレストランのみのパラドールも引き続き営業していて誰でも利用できます。
このレストランは16世紀に創立されたアルカラ・デ・エナーレス大学の構内にあり、カスティージャ様式の重厚な雰囲気ですが、気軽に食事を楽しめることから家族連れなどにも大変人気があります。




煉瓦、木製の梁、カステージャ風の家具に彩られたレストランではカステージャ地方の郷土料理を豊富に取りそろえています。

食後にはレストランの入り口の横手から旧サン・ヘロニモ寮の”パティオ・トゥリリンゲ”(三カ国語の庭)と呼ばれる中庭に出てみましょう。(この三カ国語とは現在使われていないラテン語、ヘブライ語、ギリシア語のことです。)これはサント ヘロニモ校でラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語が教えられていたことに由来するのだそうです。 この中庭は回廊に囲まれ緑の芝と中央の井戸そして2本の聳える糸杉があざやかです。



マドリードから僅か30分の距離ですからマドリードでのホテルの代わりにこのパラドールに泊まるのも悪くありませんが、マドリッドの午後の一時をゆったりと食事を取り大学構内を散策するだけでも悪くありません。
僅かな交通費と食事代だけでパラドールの雰囲気が十分に味わうことができるもっとも手軽なパラドールなのですから・・・。


☆マドリッドの街角で。。。

アルカラ通りを歩いているとかすかに軽快なラテンリズムが聞こえてきた。
歩くに従ってだんだん大きな音となり、やがて通りの反対側に、いかにも中南米から来ましたという感じの男女3人組の姿が見えてきた。
若いシンセサイザー男は大音響を響かせながら道行く人に首を振りながら、こぼれんばかりの愛嬌を振りまき、中年の小太り男はそのシンセサイザーに負けるものかと頬を彼の腹と同じようにまん丸に膨らませて懸命にトランペットを吹いている。
若い女は少しでも立ち止まる人がいれば帽子を差し出している。

中年小太り男のトランペット演奏があまりに見事なのでビルに寄りかかりタバコに火を付けた。 1本、2本、いつの間にか3本目のタバコに火を付けていた。

演奏の合間に道を渡り女の帽子の中に1€を2枚入れた。
「グラシァース」僕が言うとその若い女は驚いたような顔をしたが次の瞬間真っ白な歯を見せて「グラシァース」・・・。
値打ちのある2€だった。

ヨーロッパの大都市ではこのような演奏や大道芸のパフォーマンスをよく見かける。 一人きりのこともあれば数人のグループもある。

オーストリアのインスブルックでは路上で貧しい服を着た少女がフルートを吹いていた。
まだ小学生に成ったかならないか位の歳の少女だったが、これがまた滅茶苦茶に上手い。
少女の前の箱にはそこそこのお金が入っていたが、あれは生活費になってしまうのだろうか、それとも音楽のための学費になるのだろうか・・・。
出来れば後者であって欲しいが・・・。

アテネではほとんど人通りがない寺院の前でギターを持ってビートルズを弾いている男が居たので「イエスタディ」をリクエストしてみた。
「イエスタディ」の演奏が終わっても余程ビートルズが好きなのか次から次へとビートルズの曲を演奏する。
まさに僕の為のコンサートになってしまった。
お礼に千円相当のお金をあげたら何故か貰いすぎだと半分返してよこした。

こういうのに投げ込むお金は気分がイイ、しかし浮浪者や物乞いにお金を渡すときは少し複雑な気分になる。
労働意欲をそぐからあげてはいけないという意見や、子供を使ってお金を集めさせる親方がいるとかいう話を聞くからだ。
確かにそういう面がないとは言えないし、あげだせばキリがないとも思う。
でも、実際、働き口がないとか働けない状況にあるとか構造的な貧困もあるのでポケットの底にある小銭を入れてあげてしまう。
金額にして数十円、小さなパンでも買えればと・・・。

by“よっぴ”

2012年12月10日

第22回 オンダリビア

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。 前回は川を挟んだ、ポルトガルとの国境の町アヤモンテでした、今回はやはり川を挟んだフランスとの国境の町オンダリビアです。 バスク地方と言えばETAのテロ活動が心配になりますが、ここ、オンダリビアはそんなことを微塵も感じさせない静かで美しい漁村です。

第21回オンダリビア Hondarribia
名称「Parador”El Emperador"」皇帝のパラドール

この名称の皇帝とは神聖ローマ帝国を兼ねたカルロス5世のことを指しています。 10世紀にナバラ王サンチョ・アバルカが築いたという、この城を、16世紀に一時フランス軍に占拠されされてしまったので、より兼固なものにとカルロス5世によりフランス国境の要地の城兼宮殿として改築されたものです。 17世紀のフェリペ4世のときには2ヶ月にわたる攻撃に耐えたといいます。 3mの厚さがあるという外壁には砲弾のあとが、今でも数十カ所も残っています。

オンダリビア(バスク語:Hondarribia)は、スペイン、バスク州ギプスコア県の都市。県の北東端に位置し、フランスとの国境となっているビダソア川を挟んでアンダーユと向かい合っています。スペイン語名はフエンテラビーア(Fuenterrabia)。

フランスとの国境駅イルンからクルマで10分、ビダソア河口を臨む丘の上にパラドールは建っています。
パラドールの建つアルマス・デル・カスティージョ広場はサンタ・マリア教会など昔ながらの姿を残す旧市街地区となっており、広場に面した入り口から3mもある分厚い石壁をくぐり抜けると其処には、はっと息を飲み込むほど感動的な中世の宮殿の世界が広がっているのです。

ごつい石壁が天井まで広がり、重厚な家具や飾られた武具、加えて照明の巧みさで見事なまで中世の世界を演出しています。
中庭に出てみると、そこは崩れかかった石壁そのままにサロンとして使われているのですが、苔むす石壁と配置されたモダンな籐製のソファとの組み合わせがとても美しいのです。
館内のインテリアは全て柔らかで落ち着いた感性が感じられるのです。

ビダソア川に面した広く開放的なバルコニーからはカラフルな小舟やヨット、そして対岸のフランスの町並みが見えます。


このパラドールは全パラドール中唯一レストランを持たないホテルなのです。
これは増築が出来ないので、雰囲気を大事にするために、レストランや厨房にスペースを取られたくない為なのですが、このパラドールに関してはレストランが無いことは全く欠点にならないのです。
何故なら、歩いて10分ほどのビーチ沿いの新市街には新鮮な魚介類を使ったレストランが沢山あり、世界一美味しいと言われるバスク料理が堪能できるのです。
もちろんミシュランの星付きレストランもあります。

もし幸運と少しのお金があったらたった一つのメゾネットタイプのスウィートルームに泊まっては如何でしょう? 勿論、4人まで泊まれるので4人組なら安上がりになりますが…。その場合は1Fのダブルベッドに2人、2Fのツインベッドに2人で泊まることになるそうです。


☆日帰りでサン・セバスティアンへ



オンダリビアからクルマで15分も走ると北部スペイン随一のリゾート地サン・セバスティアンの海岸に出ます。
大都会ですが、コンチャ海岸にはリゾートホテルが立ち並んでいます。

リゾートマンションやレストラン、お土産物屋も沢山ありますが、海岸から少し離れて旧市街を散策するのも楽しいでしょう。 バロック様式の素晴らしい彫刻が施されたサンタ・マリア教会をはじめ、ブエン・パストール教会、市庁舎など見どころもいっぱいです。



ここはスペインの中世とリゾートとショッピング、海の幸が同時に楽しむことができる町なのです。
また、海岸の左手にはコンチャ湾を見下ろすロープウェイもあります。


☆フランスで…

オンダリビアのパラドールにもしスペイン側から入ったのなら是非、ビダソア川を渡ってフランスへのミニ旅行をしてみましょう。
パラドールから坂道を下ること5分、オンダリビアの港に出ます。




そこから左手海沿いに更に5分程で川を渡る定期船の乗り場を見つけることができるでしょう。定期船と言っても20〜30人程で一杯になってしまうボートですが・・・。
乗船料は小さなボートでわずか片道1.6ユーロ、川幅は500mたらずで料金に見合った5分程で対岸の町アンダーユHendayeに着いてしまいます。
ヨットハーバーが広がる洒落たホテルでカフェオレでも飲んでいると、何となくスペインとは違う雰囲気が感じられるでしょう。
聞こえてくる鼻にかかったフランス語が白いホテルのカフェテラスにマッチしています。

スペインでは通常ランチは2時過ぎからですがフランス側では日本と同じように正午過ぎにはレストランで食事を取ることができます。
フランスワインを傾けながらしばしフランスに浸るのも悪くはない?

by“よっぴ”

2012年12月04日

第21回  アヤモンテ

はろはろ!こんにちは〜!“よっぴ”の「パラドール紀行」です。
今日はカディス湾のポルトガルとの国境の町アヤモンテです。
以前はグアディアナ川対岸のポルトガルの町サン・アントニオに渡るための観光客で賑わっていましたが、現在は対岸に大きな吊り橋が架かり高速道路でアッと言う間に通り過ぎてしまいます。

第21回アヤモンテAyamonte
名称Parador"Costa de la Luz”光の海岸のパラドール

ウエルバから西へ60kmポルトガルとの国境に流れるグアディアナ川の河口を見下ろす高台に位置し大西洋の海岸線Costa de la Luzを一望できる贅沢なロケーションにパラドールは建っています。 アラブの城塞跡に建てられていますが、建物は全く新しいリゾートタイプの現代建築です。 サロンから庭に出て遠くを眺めると対岸のポルトガルに架かる大きなアーチ橋が見えます。 ここから眺める夕焼けはことのほか美しいのです。

客室もサロンも広くゆったりとしておりリゾートホテルとしては十分な設備を備えていますが、アヤモンテの明るい太陽に照らされた素朴な色調のサロンと客室は、保養地としてとても落ち着いた雰囲気に包まれています。
庭の部分には、まだ未整備のところがあり、近々更に広くなり部屋数も増える予定だそうです。



勿論、レストランでの食事、ガーデンテラスでの一杯には豊富な海の幸が待っています。
お勧めは魚介類、豚肉の腸詰めなどです。
夏のバケーションシーズンは特に混み合い、他のヨーロッパ諸国からの来訪者が多く、1週間くらい滞在するグループも沢山います。
夏以外の季節は、週末は混みますが、平日はビジネス関係の人が多いそうです。

町にはこれといった見所は無いのですが、パラドールでは滞在客が飽きないように各種のツァーを用意しています。
Guadiana川のクルーズ11:00−18:30は川を上り50km先のポルトガル側の町Alcoutim迄行くツァーの他、La Rabidaなどコロンブスゆかりの地を訪ねるコース、Huerlvaの山地を訪れるコース、いちごで有名なLepeの町を訪れるツァーなどがあり、またお別れPartyなどの相談などにものってくれるそうです。
近くの2カ所のゴルフ場と提携したお得なゴルフパックがあって、イギリス人に特に人気があるといいます。



プールはありますが、海水浴場はパラドールからはちょっと外れて一番近いトコで7km離れています。


☆サン・アントニオ

スペインとポルトガルとを結ぶ高速道路の橋は、町から少し離れた所を通っているので、ポルトガル側の国境の町Sto Antonioまでのフェリーもまだ健在で、30分おきに出ており(夏以外は1時間おき)約10分で対岸に到着します。 正式名は、ヴィラ・レアル・デ・サント・アントニオという長い名前です。 国境を結ぶフェリーといってもモーターボートを少し大型にした程度で甲板に乗用車が5台も乗ればもう一杯になってしまいます。/td>
たかだか10分の船旅ですが、やはり対岸に近づいてくると異国に来たのかとワクワクしてしまうでしょう。
高速道路ができる前、フェリーに乗って国境越えをしたときには税関やパスポートチェックがあったのに…。 今は何もなくただ船を降りるだけ、あまりにあっけない。
しかし、其処は紛れもなくポルトガルの町です。 船を降りてみるとアヤモンテが静かで落ち着いた町なのに対してサン・アントニオの町は活気があってとても賑やかです。 この賑わいはスペインから物価の安いポルトガルでの買い物客を目当ての賑わいなのです。
まるでここだけ太陽の国スペインと落ち着きのあるポルトガルが入れ替わったみたいな気がするでしょう。 サン・アントニオの町中には衣料品、雑貨類の店、そしてレストランがたくさんあります。 特にタオル生地のものやシーツなどの木綿類はデザインや色使いにも凝っていて、値段はスペインの半額程度で買えるといいます。
午後のひととき、さらに物価の安いポルトガルでのちょっとした買い物やポルトガル料理を味わってみてはいかがでしょうか。

by“よっぴ”