« 第22回 オンダリビア | メイン | 第24回 モハカール »

第23回 アルカラ・デ・エナレス

はろはろ!こんにちは〜!“よっぴ”の「パラドール紀行」です。
今回はマドリードから30km、車でも電車でも30分足らずのアルカラ・デ・エナレスのパラドールを紹介しましょう。

第23回Alcala de Henares
名称「”Alcala de Henares”」アルカラ・デ・エナレス

前回のオンダリビアのパラドールはレストランを持たない唯一のパラドールでしたが、かつてアルカラ・デ・エナレスの町にはパラドールの中で唯一宿泊施設を持たなかったレストランのみ(これをオステリアHosteriaと呼びます)の施設がありました。
このオステリアHosteriaは中世からの大学町であるアルカラ デ エナーレスに16世紀創立されたサント ヘロニモ校を改装し1929年にパラドールチェーンの中で2番目に古い施設としてオープンしたものでした。

新しいパラドールは、2009年に、この小さなオステリアHosteriaを旧館とし、向かい側にあるサント・トマス学校兼修道院を改装して生まれ変わったものです。
全128部屋を持つこの比較的大きな規模の新館のパラドールは、建物は17世紀に建てられたものですが内部は修道院の回廊に沿ってレストラン、カフェテリア、朝食用の食堂、サロン、バー、そしてスパが作られており、伝統的なものを残しつつ超モダンなデザイン性の高いつくりとなっておりビジネスマンのためのコンベンションセンター、無料のワイヤレスインターネット接続など滞在のための最新の設備が備わっています。
少し驚かれるかもしれませんが、ヨーロッパには数百年前の石造りの堅固な建物が数多く残っており、このように一見外側は古い歴史的な雰囲気でありながら内部は全く新築の建物であるかのようにリノベートされたホテルや事務所、住居がとても多いのです。

名称にもあるように此処はアルカラ・デ・エナレスの大学構内にあります。 町は1508年にシスネロス枢機卿によって創設された大学を中心として栄え(1836年にマドリッドに移転)、大学と歴史地区はマドリッド自治州内では初の文化遺産に指定されました。 この大学は語学教育に特にすぐれていて1517年には世界最初の数カ国語の対訳聖書が刊行されています。 また、ドン キホーテで有名なセルバンテス生誕の地であり、生家は現在セルバンテス博物館になっています。

新館のパラドールの向かいに元々あったレストランのみのパラドールも引き続き営業していて誰でも利用できます。
このレストランは16世紀に創立されたアルカラ・デ・エナーレス大学の構内にあり、カスティージャ様式の重厚な雰囲気ですが、気軽に食事を楽しめることから家族連れなどにも大変人気があります。




煉瓦、木製の梁、カステージャ風の家具に彩られたレストランではカステージャ地方の郷土料理を豊富に取りそろえています。

食後にはレストランの入り口の横手から旧サン・ヘロニモ寮の”パティオ・トゥリリンゲ”(三カ国語の庭)と呼ばれる中庭に出てみましょう。(この三カ国語とは現在使われていないラテン語、ヘブライ語、ギリシア語のことです。)これはサント ヘロニモ校でラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語が教えられていたことに由来するのだそうです。 この中庭は回廊に囲まれ緑の芝と中央の井戸そして2本の聳える糸杉があざやかです。



マドリードから僅か30分の距離ですからマドリードでのホテルの代わりにこのパラドールに泊まるのも悪くありませんが、マドリッドの午後の一時をゆったりと食事を取り大学構内を散策するだけでも悪くありません。
僅かな交通費と食事代だけでパラドールの雰囲気が十分に味わうことができるもっとも手軽なパラドールなのですから・・・。


☆マドリッドの街角で。。。

アルカラ通りを歩いているとかすかに軽快なラテンリズムが聞こえてきた。
歩くに従ってだんだん大きな音となり、やがて通りの反対側に、いかにも中南米から来ましたという感じの男女3人組の姿が見えてきた。
若いシンセサイザー男は大音響を響かせながら道行く人に首を振りながら、こぼれんばかりの愛嬌を振りまき、中年の小太り男はそのシンセサイザーに負けるものかと頬を彼の腹と同じようにまん丸に膨らませて懸命にトランペットを吹いている。
若い女は少しでも立ち止まる人がいれば帽子を差し出している。

中年小太り男のトランペット演奏があまりに見事なのでビルに寄りかかりタバコに火を付けた。 1本、2本、いつの間にか3本目のタバコに火を付けていた。

演奏の合間に道を渡り女の帽子の中に1€を2枚入れた。
「グラシァース」僕が言うとその若い女は驚いたような顔をしたが次の瞬間真っ白な歯を見せて「グラシァース」・・・。
値打ちのある2€だった。

ヨーロッパの大都市ではこのような演奏や大道芸のパフォーマンスをよく見かける。 一人きりのこともあれば数人のグループもある。

オーストリアのインスブルックでは路上で貧しい服を着た少女がフルートを吹いていた。
まだ小学生に成ったかならないか位の歳の少女だったが、これがまた滅茶苦茶に上手い。
少女の前の箱にはそこそこのお金が入っていたが、あれは生活費になってしまうのだろうか、それとも音楽のための学費になるのだろうか・・・。
出来れば後者であって欲しいが・・・。

アテネではほとんど人通りがない寺院の前でギターを持ってビートルズを弾いている男が居たので「イエスタディ」をリクエストしてみた。
「イエスタディ」の演奏が終わっても余程ビートルズが好きなのか次から次へとビートルズの曲を演奏する。
まさに僕の為のコンサートになってしまった。
お礼に千円相当のお金をあげたら何故か貰いすぎだと半分返してよこした。

こういうのに投げ込むお金は気分がイイ、しかし浮浪者や物乞いにお金を渡すときは少し複雑な気分になる。
労働意欲をそぐからあげてはいけないという意見や、子供を使ってお金を集めさせる親方がいるとかいう話を聞くからだ。
確かにそういう面がないとは言えないし、あげだせばキリがないとも思う。
でも、実際、働き口がないとか働けない状況にあるとか構造的な貧困もあるのでポケットの底にある小銭を入れてあげてしまう。
金額にして数十円、小さなパンでも買えればと・・・。

by“よっぴ”