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2013年01月29日

第26回 ベニカルロ

はろはろこんにちは?!今日はバレンシアから北に110km程、その名前にもなっている、バレンシアオレンジの木が海岸沿いに生えるコスタ・デ・アサールの中心地ベニカルロのパラドールです。

第19回ベニカルロBenicarlo
名称「Parador"Costa del Azahar"」オレンジの花の海岸のパラドール

バレンシアから列車で1時間半、バロセロナから2時間半、美しいアサール海岸に面してベニカルロのパラドールが建っています。
このあたりからバレンシア県のオリバまで海岸線に沿ってはオレンジ畑が続くのでCosta del Azaharオレンジの花の海岸と呼ばれているのです。

全パラドール中最大の敷地面積をもつというこのパラドールは海岸まで大庭園が広がり その中心に大きなプールが煌めいています。
リゾート風の白亜の2階建てのパラドールの部屋からは広大な地中海が何処までも続いているのが見えます。 部屋のインテリアもブルーとオレンジ色でスッキリとまとめられており、広々した部屋とバルコニーの設備、加えてパラドールの特色であるサロンはいかにもリゾート地のパラドールらしく明るく開放的です。

これらの整った設備は宿泊客は勿論、休憩、食事に訪れる人たちをも十分に満足させるでしょう。

いかにもリゾート地らしいカジュアルなレストランは通常のメニューに加えて好きな食べ物を自由に選べるビュッフェスタイルの食事も併用されているのが嬉しい。 見ると、かなりの客がこのビュッフェスタイルの食事を選択しているようです。 メニューでは2人前からしか受け付けないバレンシア名物のパエリャも日替わりで必ずあるからでしょうか、この日は烏賊墨のパエリャでした。 夏場にはこの広大な庭が野外レストランとして営業され、バーベキューコーナーも設置されます。

☆ペニスコラ

ベニカルロからアサール(オレンジの花)海岸沿いに8km南に下がると地中海に突きだした軍艦のような島影が見えてきます。
この影は半島で陸地とは僅かに接しているだけで3分の2は海に面しているのです。
近づくに連れて島の周りを石の城壁で囲み、その中に白い角張った家が密集しているのが見られるようになります。

この辺りは高級リゾート地帯として、海岸沿いの浜辺に面して近代的な洒落たホテルが建ち並んでいます。
一方、この城壁はスペイン黄金時代にフェリペ2世によって築かれたものですが、この城壁内の村の細道には土産物屋が立ち並び、店を眺めながら丘を上り詰めると、小さいながらも堂々とした城塞があります。 この城は、対立教皇とか偽教皇とか呼ばれていたベネディクトゥス13世(ルナ教皇)が90歳まで立てこもっていた城です。

1394年アヴィニヨンの教皇選出会議で、一旦はアラゴンの枢機卿ペドロ・デ・ルナが教皇に選出されローマ教皇「ベネディクトゥス13世」を名乗るのですが、その後、ローマの枢機卿会議で別の教皇が選出されて異端と弾劾されてしまうのです、しかし、彼は自分の正当性を主張して、このペニスコラの要塞に避難することになるのです。
本当に小さな城ですが、海に囲まれた天然の要塞にこもり、90歳で死ぬまで自分の正当性を主張し続けたという正にスペイン版南北朝時代の舞台なのです。
城の内部は教会と学問を好んだ教皇の間以外にはこれと言ったものもなく、現代アートの展覧会場に使われていたりします。

  

さほどの高さではないのですが、周りには特に高い建物もないため、城のテラスから見下ろすアサールの海岸のパノラマはとても素晴らしい。

海水浴場の反対側に目をやれば町の漁港と魚市場が見えます。

此処の名物は車エビだそうです。


ベニカルロのパラドールから海岸線を南下してペニスコラに向かっているときだった。 案内をしてくれたバレンシア在住のI氏にペニスコラの名前の由来を聞いてみたところ、「そりゃあ決まっているでしょう、あの形を見て下さいよ。」「ぺ・ニ・ス・コラ 。。。」 「ね、ワカッタでしょ?、やっぱスペイン人のは大きいですからな。。。はっはっは!」なるほど、それにしても随分と露骨な名前にしたもんだなあ?っと感心をしてしまった。 後日、その事を他の人に話をしたところ 「あっはっはっ!それは担がれたんですよ、いくらスペインでもそんな名前はつけませんよ、ラテン語のペニンスラ=半島からきたんですよ!」 やられた!でも、あの堂々とした話しぶり・・・もしかしたら彼も誰かに担がれて、今でも信じているのかも知れない。 話とすればこの方が断然面白いのだが…。

by"よっぴ"

2013年01月18日

第25回 テルエル

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今回はムデハル様式の町として知られ、世界遺産にも登録されているテルエルからです。

第25回テルエルTeruel
名称「Parador de Teruel」

サラゴサから急行列車で2時間〜2時間半、バレンシアから約2時間半の距離にテルエルの町があります。
バレンシアの北西120kmトゥリア川に臨んだ山間の絶壁の上にある町で、標高920mあり、厳冬には氷点下10度になることもめずらしくないという極寒酷暑の地として知られており、ハモン・セラーノ(スペインの生ハム)や陶芸でも有名です。
アンドレ・マルローがスペインの内乱をテーマにした、共和国軍とフランコ軍との熾烈な攻防戦「テルエルの戦い」でも有名な町なのですが、今日のテルエルのキャッチフレーズは、もっとロマンチックに「ムデハルの町、恋人たちの町」と言うのだそうです。
数々のムデハル美術や建築様式を残すこの町は世界遺産にも登録されているのです。

パラドールは、その白い丘の旧市街から少し離れて、クルマで10分ほどの平坦な川沿い、緑の森の中にあります。 一階はガラス張りのサンルームが表に突きだしている別荘風の落ち着いた建物です。 内部はパステル調の色使いで内装が施されて明るさを強調しています。
玄関を一歩入るとロビーの天井は高く柱と床はベージュ色の大理石が輝いていて、高級なプチホテルの雰囲気をただよせています。 そして、その正面にレセプションがあります。
ロビーの右手にはアンティークな家具が置かれた重厚で落ち着いたサロンが広がり、左手には明るく開放的なレストランが対称的に配置されています。 この明るく光に溢れたカフェテラスやレストランはイベント会場に最適で、町民のための催し物や結婚式の披露パーティーにも広く使われているそうです。
このレストランでは是非とも、ソパ・デ・アホをオーダーしてみて下さい。 ソパ・デ・アホとはスペインなら何処にでもある、有名なパンの入ったニンニクスープですが、この容器がテルエルとパラドールのロゴ入りの何とも言えず素敵なカップだからです。もちろん味もベストと付け加えておきましょう。
そして、デザートにはこの町の伝説でありキャッチフレーズである「テルエルの恋人たち」と名前の付いたお菓子をどうぞ。。。

パラドール内はサロンもロビー、廊下にもやわらかな色彩の陶器で溢れ、落ち着いた部屋にも陶器で作られたスタンドなどが飾られています。

テルエルとはアラビア語で「雄牛」のことを意味するそうです。
テルエルはレコンキスタ後もユダヤ教徒とイスラム教徒がとどまることが出来た唯一の土地ということで、土地に残ったイスラム教徒(ムデハル)がレンガや装飾タイルなどの
イスラム建築の建材と菱形の編み目や幾何学模様寄せ木細工などの装飾を施し、西欧的な要素とを巧みに組み合わせて作られ、そのものをムデハル美術と呼んだのです。
テルエルでは12世紀から16世紀にかけて、そのイスラムの職人に伝えられた数々のムデハル様式の建築物(塔)が建てられています。


この中世のムデハル様式の建築や美術の残るテルエルの街の4つの建築物「サンタ・マリア大聖堂の塔、屋根、ドーム」「サン・ペドロ教会と塔」「サン・マルティン教会と塔」「エル・サルバドル教会の塔」が「テルエルのムデハル様式の建築物」として1986年世界遺産に登録されました。(現在はアラゴン州の10の建築物が世界遺産として登録されています)

テルエルで一番美しい塔は14世紀に建てられたサン・マルティン教会の塔とも同じくエル・サルバドールの塔とも言われていますが、このうち町の入り口に建つエル・サルバドールの塔は鐘楼まで登ることが出来ます。

ここから見渡すテルエルの町は本当に美しい。


☆テルエルの恋人

サン・ペドロ教会は「テルエルの恋人たち」の伝説で有名な寺院です。
これはテルエル版ロミオとジュリエットの話で実在の物語なのだそうです。

13世紀、テルエルにディエゴという青年とイサベルという恋人がいました。
ところがこのイサベルの父親は、貧乏人のディエゴとの結婚を許さないのです。
どうしても結婚したいのなら5年の間に富と名誉を手に入れて来るという条件を出します。
ディエゴは苦労を重ね、富と名誉を得てテルエルに戻ってくるのですが、その日、イサベルは父親の選んだ名家の男との結婚式を終えたばかりだったのです。

ディエゴは彼女の心変わりを責めるですが、イサベルは「なぜもっと早く帰ってきてくれなかった」っと泣くばかりです。
ディエゴはせめて口づけをと願うのですが、敬虔なクリスチャンのイサベルは神の誓いを守るためにその願いを拒むのです。
三度口づけを求め、三度拒絶の言葉を聞いたディエゴはそのまま息絶えてしまいます。
翌日サン・ペドロ教会でディエゴの葬儀が営まれたが、そのディエゴの遺体に取りすがったまま動かず、そのまま息絶えたイサベルの姿があったというのです。

伝説化していた彼らの墓が16世紀になって発見されて、恋人たちの遺体は離れることのないようにサン・ペドロ教会の安置室に並べて指を絡めて眠っているのだそうです。
ガラス張りの棺の中でミイラとなってですが・・・。


☆アルバラシン

テルエルの西40km程にバラ色の粘土で塗られた中世の町並みアルバラシンがある。 このアルバラシンの町もスペインの美しい町の一つとして有名です。(先日テレビ番組でツァーガイドの勧める隠れた観光地世界ベスト3に入っていました。) テルエルの煌びやかな町も素敵だが、時間が止まってしまったこの寒村も別の美しさで、心を和ませるでしょう。時間が取れるのなら是非訪れて欲しいところです。 断崖に張り付いた小さな町ですが、歴史は古く旧石器時代には人間が居住していたといいます。
11世紀にムラービト朝のベニ・ラシンがこの地に王国を作り、城壁を築きました。 町の背後の丘には頂上まで崩れかけた石積みの城壁が続いています。
こんな辺鄙で小さな町にもマヨール広場があり、クルマもここまでは入ることが出来ます。
しかし、この町の素晴らしさを実感するためには町の下の駐車場にクルマを止めて、ゆっくりと狭い階段を登って行くことをお勧めします。

このマヨール広場まで約10分、町の中の路地を抜けて町の全貌を見渡す所へ10分、その上の城壁の頂上までは尚10分程かかります。

  

崩れかけた城壁の周りの道はとても滑りやすく、しっかりした靴を履いて注意して歩いて下さい。

しかし、この頂上まで来るとアルバラシンの山並みと眼下に広がるバラ色の町並をのぞむことが出来ます。

by"よっぴ"

2013年01月11日

第24回 モハカール

はろはろ!こんにちは〜!“よっぴ”の「パラドール紀行」です。
今回は地中海に面した美しい白い町モハカールです。

第24回モハカールMojacar
名称Parador”Reyes Catolicos”カトリック両王のパラドール



アルメリアから国道340号線を約90km北上すると白い町並みモハカールに出ます。
ここから海岸に向かって尚2km程降りていき地中海に突き当たったところにパラドールは建っています。
目の前には地中海の美しい海岸線が広がり、もちろん全室から海とプールが見え、夜は
ライトアップもされ、とても素敵な典型的リゾートホテルです。

宿泊のみならず会議や結婚式に使用されることも多く、レストランも非常に充実しています。もちろん素材は近くの港から仕入れた常に新鮮な魚介類です。

気候はとても温暖で1,2月でも20度くらいあるので泳いでいる人もいるそうです。 そうだからといって、夏でも人混みで溢れかえる訳でもなく気候、環境ともに申し分ないパラドールでしょう。

サロンの傘型の暖炉や、ランプなどには近くで生産された鉄製品のものを使っているのですが、ここのランプは船のランプを模倣して作られているのだそうです。

廊下はとても広く取られており、それぞれの空間に大きなサボテン、ソテツなどが配されています。
クリスマスにはこの廊下に、カトリックの伝統的な人形が毎年違うテーマで飾られます。 これをベレンbelen人形と呼びますが、ベレンとはスペイン語でベツレヘムのことです。 スペインではクリスマスにはツリーの代わりに、このベレン人形を飾るのですが、モハカールのパラドールでは、すべて従業員の手作りになるもので完成まで一ヶ月も要するものを作り上げるのです。
部屋はブルーが基調で広々としていますが、何と言っても素晴らしいのがテラスや部屋の大きなガラス窓越しに見える地中海でしょう。
夜には大きな湾の先に見える港町やレストランの灯りがキラキラと輝いているのがとてもキレイです。
天井から吊り下げられている多角形の形をしたランプはとても個性的で、部屋の中でその電灯だけつけると、部屋に模様が広がり幻想的な気分に浸れるでしょう。 この灯りの起源はアラビアですが、現在はトレドで作られているとのことでした。

このパラドールにはサロンと2つのテラスがあるスペシャルルームと家族のためのコネクティングルームもあります。

外国人の宿泊率は約40%、特にドイツ人が多く、またマドリッドから週末だけやってくる客も多く予約率はかなり高く年間を通して90%にもなります。
4〜10月と週末はとくに混んでいて、一ヶ月前には予約が必要とのことでした。
パラドールの前の海岸は泳ぐのには少し深いのですが、マリンスポーツには最適です。
また近く、4キロ程離れたゴルフ場と契約して宿泊者に楽しんでもらう予定になっています。


☆モハカール市街にて

モハカールの市街プエブロ・デ・モハカール(PUEBLO DE MOJÁCAR)はパラドールから2km車で5分、バスでも10分ほどで到着します。


パラドール前のバス停を出ると間もなく砂糖の粉をまぶしたシュークリームのような丘が見えてきます。

バス停の前の広場にはリヤドロの直営店を始め10軒程の土産物の店が立ち並びどの店もナカナカお洒落な雰囲気です。




坂の多いモハカールでは広場は子供達がボールを蹴るための貴重な遊び場です。
その広場でバスを降りてから5分も歩くと展望台に登り着きます、そこからは一面白で塗られた町と遠くに地中海を見渡すことが出来ます。
家々の白い壁の窓には花の小鉢が飾られ、ミハス程の華やかさは無いのですが落ち着いたスペイン特有の白い町並みをゆっくりと散策することが出来るでしょう。

町の路地裏をあっちこっちと気ままに歩いていると大きなアメリカ人が声をかけてきた。
道でも尋ねられたのかと思い返事をすると或る一軒の家の入り口を指さして入れと言う。
言われるままに中にはいるとそこは工事中のバルのようでスペイン人の職人が一人棚を作っていた。
そして内壁は赤や黄色の明るい色のペンキで壁や天井、カウンターが塗られている。
そう、このアメリカ人はカルフォルニアの出身の男で、気候の温暖なのがカルフォルニアに似ていてモハカールがとても気に入ってしまい、もう10年間住んでいるのだが、今度はメキシカンのレストランをオープンすると張り切っているのだった。
どうも自慢の店を見せたくて仕方がないらしい。
「開店は2日後の土曜日だ」、と言っていたが工事はあまり進んでいる様子が無く、開店に間に合うとはとても思えない、だからかといって焦っているわけでもない。
このアメリカ人もすっかりスペイン流になっているのかもしれない。
今頃はチャント営業して、流行っているのだろうか?・・・。

by“よっぴ”