第40回 マラガ・ゴルフ
はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今日はマラガのもう一つのパラドール、マラガ・ゴルフです。
ヒブラルファロが高台にある中世的な雰囲気を持つパラドールならば、ゴルフは海沿いに面した近代的なリゾートホテルと対称的なパラドールです。
第40回マラガ・ゴルフMalaga Golf
名称Parador Golfゴルフのパラドール
このパラドールはその名の通りゴルフ場をもつスポーツを楽しむためのリゾートタイプのパラドールです。
他のパラドールでもゴルフを楽しめるパラドールは多いのですが、専用のゴルフ場を持つのは、此処マラガのゴルフとバレンシアのエル・サレールだけです。
ゴルフを楽しむのは勿論ですが、広い芝生の庭、ゆったりとしたサロン、美味しい食事の出来るレストランと何もしないでのんびり過ごすのにも最適なパラドールです。
しかし、ここの自慢は何と言ってもゴルフ場です。
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1925年に作られコスタ・デル・ソルでは一番古く、スペイン全土でも3番目に古いゴルフ場で1999年にはヨーロッパツアーなども行われたという由緒あるゴルフ場です。地中海の海岸に面し、風光明媚なリゾート気分を満喫することができるゴルフ場です。
このゴルフ場は、もともとはイギリス王室がバケーションの際にゴルフを希望されたために造られたそうです。
マラガ市内、国際空港に近く、大リゾート地トレモリノスに隣接しており予約率が高く、夏には1年、冬場でも半年前の予約が必要となっています。
外国人の比率も55%と高いのですが、マラガ市民が夏休みに利用することも多いのです。
また一度利用した人は何度でも利用する人が多く、代々家族で利用する人も多いとのこと。
故ケネディ大統領一家、フランスのシラク元大統領、スペイン王妃、バレステロスなども利用されているそうです。
☆パブロ・ピカソ
抽象画の天才画家ピカソは1881年マラガに生まれました。
そして1895年にバロセロナに移住するまでの少年時代を過ごしています。
10月25日に生まれ、11月10日に洗礼を受けたときに、それはそれは長い、まるで落語の寿限無のような名前が付けられています。
「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・フワン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピニアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ」と言います。
こんな長い名前になったのにはピカソの出生に理由があるのです。
本来ならパブロ・ルイス(父の名)ですが、どういうわけか母方のピカソを名乗ってパブロ・ピカソとなっています。
あとの中に挟まれた名前はいわゆるミドルネームです。
ピカソがこの世に生まれて来たときには息をしていませんでした。産婆が懸命に手を尽くしましたが蘇生せず諦めかけていたところ、叔父のサルバドールが葉巻の煙を鼻の穴に吹き込むと、とたんに大声で泣き始めたのです。
この奇蹟にあやかりたいと親戚中で自分の名前をピカソに付けたのです。
幼少時代のピカソの学業成績はとても悪く自分の名前もまともに書けなかった、まあこれくらい長い名前を付けられれば当然とも思えますが…。
しかし、その美術の才能は、美術教師をしていた父親が自分の才能の無さに失望したと言われるほどの天才ぶりを発揮していました。
1900年パリに出たピカソはその後「青の時代」「薔薇色の時代」を経てキュビスム(立体派)の世界に進むのですが、ドイツ空軍によるバスク地方のゲルニカ爆撃への怒りを表現した大作「ゲルニカ」は現在マドリッドの国立ソフィア王妃センターに展示されています。
この時以来フランコ将軍が生きている内にはスペインには帰らないと言い続けてフランスで生涯を終えていますが、実際には時々ヨットで生まれ故郷のマラガに立ち寄っていたらしいです。
by"よっぴ"