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2013年10月30日

第50回 ハランディージャ・デ・ラ・ベラ

はろはろ!こんにちは〜!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。これから暫くはエストレ・マドゥーラ地方の素晴らしい歴史的建物のパラドールを紹介していきましょう。
最初に紹介するパラドールは、スペイン最盛期の国王であり、神聖ローマ帝国の皇帝としてヨーロッパを支配していたカルロス5世が、晩年住まいとしたハランディージャ・デ・ラ・ベラからです。

第50回ハランディージャ・デ・ラ・ベラJarandilla de la Vera
愛称Parador"CarlosV"カルロス5世のパラドール

日の沈むことのない帝国と呼ばれた時代のスペイン国王カルロス1世(神聖ローマ帝国カルロス5世)は1555年退位を決意し、静かに晩年を送るためにこのJarandilla de la Veraにやってきます。そして、ユステの僧院(Monasterio de Yuste カルロス1世最後の住まいになる)が完成するまでの約1年3ヶ月ほどこの城に居住することになるのです。ティタル川を見下ろし、背後にはグレドスの山並みが見える、豊かな緑に囲まれた格調高いこの城は、当時はOropesa伯爵(Jarandilla男爵)の城でした。

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外は重厚な中世の城の様相を呈していますが、中は非常に明るい装飾で飾られています。
「カルロス1世が住んでいた頃のイメージの部屋はありますか?」と聞くと「病床で晩年を過ごしたような暗いイメージの部屋はちょっと・・・。」と笑われてしまった。 上階にはカルロス1世のサロンと呼ばれる広々としたテラスのついた広間があり、痛風で苦しんでいた国王の要望で作られた暖炉が今も見られます。
もちろん、建物の中には国王自身、王妃イサベル(当時ヨーロッパ1の美女と言われた)の肖像画もいくつか見られます。この城には国王一族を始め有名人も多数訪れていますが、第二次大戦中、(のちにフランス大統領となる)シャルル・ドゴールもドイツ占領下のパリを逃れて滞在しています。町中は特に何もありませんが豊かな自然に囲まれ近くには川を利用した自然のプールもあり家族連れにも大変人気のあるパラドールです。
またカルロス1世が最後に暮らした、質素で美しいユステの僧院も(12km)スペイン語ですがガイドつき見学が出来ます。カルロス1世が1556年に退位したのちこの僧院に引き籠もるのですが、カルロス1世の居室には食堂と、皇帝がベッドから起きだすことなく祈りを捧げられるように教会と隣接して窓が作られています。後に遺体は、フェリペ2世の希望によって、エル・エスコリアルの修道院の王室霊廟へ移葬されました。
他には近くのGargante la Olla(17km)、Valverde、Villanueva de la Vera(28km)など、この地方独特の味のある家も見られる小さな村を訪ねるのもよいでしょう。

☆ 狂女王フアナとカルロス1世

大航海時代のスペイン国王カルロス1世は、レコンキスタを成し遂げてカトリック両王の名を持つイサベル女王とフェルナンド国王の孫にあたります。
両王には3人の子供が居ましたが、王位継承者のフワン皇太子は19歳で病死、長女でポルトガルに嫁いだイサベル女王は産褥死、生まれた王子も2歳で死に、1504年イサベル女王の死によって、次女フアナ・ラ・ロカ(Juana la Loca)がスペイン・カスティーリャ王国の王位を継承します。
このときフアナは神聖ローマ帝国マクシミリアン1世の嫡男フェリーペ1世「端麗王」に嫁いでおりましたが、1506年に夫フェリーペの突然死により嘆きのあまり狂い「狂女王フアナ」の伝説を残すのです。
26歳で未亡人となったフアナはフェリーペ1世の遺体を馬車に積み込んだまま放浪の旅を続けたと言われています。
父、フェルナンド2世によって統治不能とされ、トルデシージャスの修道院に幽閉されますがカスティーリャ国王の地位に変わりはなく、1516年には父フェルナンド2世の死によってアラゴン王国の地位まで継承し、1555年75歳で没するまでの46年間幽閉されたままでのスペイン大帝国の女王でした。

1517年、この統治不能のフワナ狂女王の王位継承権を持つカルロス5世が王権の代行のためにスペインにやってくるのです。
カルロス5世というのは神聖ローマ帝国皇帝としての名前で(スペインの金でこの称号を買ったという)スペイン国王としてはカルロス1世が正式な名前です。
しかし、母である「狂女王フアナ」は死ぬまでスペインの女王であり、カルロスがスペイン国王となったのは1555年4月で、翌年の1月には息子のフェリーペに国王の地位を譲り隠遁生活に入ってしまったのでその正式なスペイン国王カルロス1世としての在位はわずか9ヶ月でしかないのです。
そのため正式なカルロス1世よりもカルロス5世と呼ばれることの方が多いのです。

大変な美食家で、特に当地の生ハムが大の好物で、隠遁生活は糖尿と痛風に悩まされる毎日であったと言われています。
対外的には大スペインでありながら、新大陸から持ち帰った金銀はすべて勢力維持のための戦争に使い果たし、国民は飢えに苦しむ毎日でありました。

by“よっぴ”

2013年10月21日

第49回 アビラ

はろはろ!こんにちは〜!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今日は城壁で囲まれた中世そのままの街にあるアビラのパラドールを紹介しましょう。アビラ(Avila)はカスティーリャ・イ・レオン州アビラ県の県都で海抜1,117mの高さにあり、県都としてはもっとも標高が高く、首都マドリッドからは直線距離で西北西に約87km電車でもバスでも2時間足らずとマドリッドからの日帰りエクスカーションとして最適な観光地です。

第49回アビラAvila
Parador"Raimundo de Borgona"ボルゴーニャのライムンド(伯爵)

スペインではアビラは「城壁と聖人の町」と呼ばれていますが、アビラの特色を一言で言えば旧市街全体をぐるりと囲む城壁でしょう。
714年にイスラム教徒の占領下に置かれるが、1085年にカスティーリャ=レオン王アルフォンソ6世によって奪還される。アルフォンソ6世によって町が奪還された後、1090年から1099年の間にアルフォンソ6世の娘婿のライムンド伯爵が回教徒からの攻撃に備えて築いたもので周囲2500m、幅3m、平均の高さは12m、そして90もの塔と9つの城門を備えています。
城壁に囲まれた旧市街は中世都市そのままの姿を残している。
付け加えて言うならば、至るところに駐車しているクルマが何とも目障りですが…。
 もう一つの「聖人」とはアビラで生まれ育った「聖テレサ」のことで、カルメル修道会の改革を進め、「裸足カルメル会」を設立したカトリック最大の神秘家の一人と言われています。アビラ名物の卵黄と砂糖を使ったボール状のお菓子の名前が「イェマス・デ・サンタ・テレサ」です。

アビラは「アビラ旧市街と市壁外の教会群」として、1985年に世界遺産に登録されている。

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城内の中心地ビクトリア広場の北、カルメンの門の近くの旧ピエドラス・アルバス邸がアビラのパラドールだ。 白い石壁をくぐり石段を数段登るとレセプションがある。 さほど広くはないが落ち着いた暖炉のあるサロンとガラス戸に囲まれた小さな中庭が見える。 中庭は石で敷き詰めてあるが、大きな松が一本のびて廻りには観葉植物の鉢が多数置かれている。 回廊のガラス戸は木製で出来ており、一見日本家屋の庭のようだ。
隣接する公園に出てパラドールの客室を臨むと、これまた木製のバルコニーがまるで日本の温泉宿のような感じがする。
レストランも木の温もりと赤のモダンなシャンデリア、窓から見える庭の木々、このバランスの取れた素晴らしいインテリアは一見の価値がある。 料理は勿論名物アビラ牛だろう。
部屋のインテリアも大人しく、バルも洒落ている。
アビラの城壁を一望するならば城壁の西側プエンテ門から歩いて15分、アダハ川を渡った国道501号線沿いのクアトロ・ポステスが良いでしょう。
四本の柱に十字架が囲まれた古代の遺跡のような小さな建造物だが、アビラの城壁の連なりと柱の作る影が美しい。


☆ 世界遺産
このパラドール紀行にも良く世界遺産という言葉が出てきますが、この(ユネスコ)世界遺産とは1972年にユネスコ(国際連合教育科学文化機関)総会で成立した「世界の文化遺産、及び自然遺産の保護に関する条約」すなわち「世界遺産条約」に基づいて世界遺産リストに登録された地球全人類の宝物のことで、将来に渡って守り続けることを目的としています。
スペインには野生動物と自然保護のためのスペイン最大、ドニャーナ国立公園と、第三紀の森林と貴重な固有種を持つカナリア諸島のゴメラ島ガラホナイ国立公園の二つの自然遺産、歴史と生物圏相違のイビサ島とピレネー山脈とペルディード山地方の二つの自然文化複合遺産、そして三十カ所を越える文化歴史遺産がありますが、そのほとんどの場所には文化歴史遺産そのものとしてのパラドール、或いはその文化遺産を楽しむ為のパラドールが設置されています。
もとより、世界遺産は観光を目的としているモノではありませんが、有数の観光王国のスペインに於いては自然との調和を保ちつつ、世界遺産の保護としての面と、多くの旅行者を楽しませる為の観光資源としての面を両立させることに成功したモノがパラドールと言えるでしょう。

スペインでの世界文化遺産を列記すると
1 1984年コルドバ歴史地区
2 1984年グラナダのアルハンブラ、他
3 1984年ブルゴス大聖堂
4 1984年エル・エルコリアルの修道院と遺跡
5 1984年アントニ・ガウディの作品群
6 1985年アルタミラ洞窟
7 1985年セゴビア旧市街と水道橋
8 1985年オビエドとアストゥリアス王国の建造物群
9 1985年サンティアゴ・デ・コンポステーラ旧市街
10 1985年アビラ旧市街と市壁外の教会郡
11 1986年アラゴンのムデハル建築
12 1986年古都トレド
13 1986年カセレス旧市街
14 1986年自然遺産 ガラホナイ国立公園
15 1987年セビリアの大聖堂、その他
16 1988年サマランカの旧市街
17 1991年ポブレー修道院、
18 1993年メリダの考古遺産群
19 1993年サンタマリア・デ・グアダルーペ王立修道院
20 1993年サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路
21 1994年自然遺産 ドニャーナ国立公園
22 1996年クエンカの歴史的城壁都市
23 1996年バレンシアのラ・ロンハ・デ・ラ・セダ
24 1997年ラス・メドゥラス
25 1997年カタルーニャ音楽堂とサン・パウロ病院
26 1997年サン・ミジャンのユソ修道院とスソ修道院
27 1997年複合遺産 ピレネー山脈のペルデュ山
28 1998年アルカラ・デ・エナレスの大学と歴史地区
29 1998年イベリア半島の地中海沿岸の岩絵
30 1999年サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナ
31 1999年 バレアレス諸島 複合遺産 イビサの生物多様性と文化
32 2000年タラゴナの考古遺産群
33 2000年エルチェの椰子園
34 2000年ルーゴのローマ城壁
35 2000年バル・デ・ボイのカタルーニャ・ロマネスク様式教会群
36 2000年アタプエルカの考古遺跡
37 2001年アランフエスの文化的景観
38 2003年ウベダとバエサのルネサンス建築物
39 2006年ビスカヤ橋
40 2007年 カナリア諸島 自然遺産 テイデ国立公園
41 2009年 ヘラクレスの塔
41 2010年コア渓谷とシエガベルデの先史時代の岩絵遺跡群
43 2011年トラムンタナ山脈の文化的景観
44 2012年文化遺産 水銀遺産 アルマデンとイドリア

by“よっぴ”

2013年10月01日

第48回 セゴビア

はろはろ!こんにちは〜!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。スペインの首都マドリッドからの日帰りが出来るエクスカーションを挙げるとすればトレド、セゴビア、アビラが3大観光地と言えるでしょう。そしてこれらは何れも世界遺産に登録されています。

第48回セゴビアSegovia
「"Parador de Segovia"」セゴビアのパラドール

世界遺産、ローマ時代からの歴史の町セゴビアを一望する丘”ラ・ラストゥリアの展望台”Mirador de la Lastrilla”に建つ、町並みとは対照的な超近代的リゾートホテルがセゴビアのパラドールです。

このセゴビアのパラドールは全パラドール中でも最も設備の整った超モダンなリゾートホテルでしょう。
外壁は薄茶のレンガで大人しい素材を使っているのですが、玄関の屋根は逆傾斜のV字型をしていて、かなり思い切ったモダンなデザインの建物です。

そして、玄関を入るとそこにはとてつもなく広い、そして高い吹き抜け天井の空間が出現します。壁はレンガタイルで床もスレートタイル、天井の梁はコンクリート剥き出しのままです。天井からは白いアクリルで出来た三角形の明かり取りがぶら下がってアクセントをつけています。置かれたソファも空間の広さに合うゆったりとした大型のモダンなものが用意されています。

セゴビアは高地にあり冬場はかなり冷え込みますが、このパラドールではナント室内に温水プールまである贅沢さです。

バルコニー、レストラン、あるいはプールサイドからもセゴビアの町が歴史の大海原として一望されます。
中でも、ひときわ高く目立つのが、その美しさから大聖堂の貴婦人と呼ばれるスペイン最後のゴシック建築のカテドラルです、そして右手にはエレスマ川、クラモレス川に挟まれたアルカサルAlcazarがあります。 白雪姫のお城のモデルとなったといわれる美しい城ですが、1474年イサベル女王はこのアルカサルに拠ってカスティーリャ女王を宣言したという歴史的にも重要な城でもあります。
しかし、何と言っても圧巻は2000年前のローマの土木技術により建造された水道橋でしょう。18キロ離れたフェンフリア山の水源から水をセゴビアの町に運んでいたこの水道橋は、19世紀末まで実際に使われていました。今も水道橋には水を流すことができるそうです。

ガラス張りのレストランは宿泊客のみならず料理を楽しみ景色を楽しむ観光客でいつもいっぱいです。そしてお勧め料理はセゴビア名物コチニージョ cochinillo asado子豚の丸焼きでしょう。これは生まれて3週間、2kgくらいのものが最高だそうです。一匹で6人前、焦げた皮の色あいがペキンダッグのようで香ばしいさっぱりした味です。これは生まれて3週間、2kgくらいのものが最高だそうです。一匹で6人前、焦げた皮の色あいが北京ダックのようで香ばしいさっぱりした味です。


☆セゴビア

1985年、「セゴビア旧市街と水道橋」はユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、トレド同様、マドリッドからの日帰り観光地として絶大な人気があり多くの観光客は半日日帰り観光のバスでこの町を訪れることになる。
確かに観光バスならば半日でざっと効率よくセゴビアの町を見て回れるのだから時間のない旅行者には是非お勧めしたいツァーではあります。
しかし、これだけ見どころが満杯の美しい町を半日で通り過ぎてしまうのはあまりにも勿体ない。 帰りを一日延ばしてもゆったりとこの町を歩くことをお勧めする。
もちろん泊まるのはパラドールだ。

さて、セゴビア散策の出発点はローマ水道橋のあるアソゲホ広場Plaza del Azoguejoからです。ここから見上げる2000年前に造られた水道橋を見上げれば、ただ、ただ、その大きさに圧倒されてしまうでしょう。

2万個を越す花崗岩を積み重ねられただけで、122の柱と166のアーチで構成された水道橋は全長728mにもおよび、アソゲホ広場付近では高さが29mにもなります。
以前は観光バスも通り抜けていたそうですが今は交通の振動から水道橋を保護するために歩行者のみが通行できます。 そして橋の脇道をちょっと上に登ればカスティーリャの大地を背景にした素晴らしい水道橋が眺められます。

セゴビアの旧市街はよくアルカサル(城)を船首としてカテドラル(大聖堂)をマスト、水道橋を舵とした巨大な船に例えられます。
マヨール広場から見える大聖堂Catedral de Santa Maria de Segoviaは1525年、ルネッサンス様式の最盛期にゴシック様式が残った例として知られており、スペイン最後のゴシック建築といわれます。 その美しい姿から大聖堂の貴婦人と呼ばれています。
この附属美術館には宝物と共に幼児の墓碑がありますが、これは1336年に乳母の不注意によりアルカサルの尖塔から落下して死亡したエンリケ王の息子のものだ、この乳母もその直後に後を追ったという。

ディズニーの白雪城のモデルとして有名なアルカサルは12,13世紀に建築されたものですが、大部分は15,16世紀に増改築されたものです。
このアルカサルでは1474年イサベル女王がカスティーリャ女王を宣言しており、1570年、スペイン最盛期のフェリペ2世がアナ・デ・アウリアと結婚式を挙げた舞台でもあり、歴史的にも重要な城でもあるのです。
内部は思ったよりも狭く、居室にはタピストリー、武具、絵画、家具などが保存されています。
そして、最後に塔の上の展望台に登ればカスティーリャの大地が一望できるのです。

by“よっぴ”