第56回 トルデシージャス
はろはろ!こんにちは〜!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今回は大航海時代にスペインとポルトガルで世界を二分した「トルデシージャス条約」で有名な町トルデシージャスのパラドールです。
弟56回トルデシージャスTordesillas
名称「Parador de Tordesillas」
トルデシージャスのパラドールはサラマンカ、バジャドリド、サモラなど大都市に挟まれた重要な交通の要所ということで、政府経営によるアルベルゲとして開業されたものがパラドールに姿を変えたものです。
トルデシージャスは歴史的には1494年6月7日、ローマ法王アレハンドロ6世の仲介でスペインのカトリック両王とポルトガルのジョアン2世との間で勝手に大西洋を二分する条約が交わされた場所として名高い場所です。
また、カトリック両王の長女は夫フェリペ1世端麗王が1504年に亡くなったのち絶望のあまり精神のバランスを崩した女王フアナはこの地にあるサンタ・クララ修道院で国王でありながら、生涯幽閉生活(46年間)を送りました。
このフアナが幽閉されたサンタ・クララ修道院は、かつて愛人マリア・デ・バディジャのためにペドロ残虐王がマリアの住居として故郷セビージャのアルカサルの建築家を連れてきて遠く離れたカスティージャの古い王宮をムデハル様式の建華麗な建築物に改装したものです。
現在は狂女王フアナ が使ったオルガン、フェリペ2世愛用のクラヴィコード(ピアノの前身)等が展示されています。
このトルデシージャスから南へ1.5kmにパラドールはあります。
ドウエロ川を渡った閑静な唐松林の中にひっそりと佇む落ち着きのある上品な建物の客室は静寂と安らぎを与えてくれるでしょう。
アルベルゲがパラドールとなった所は他にも十数カ所ありますが、通常はこじんまりとしたパラドールが多いのですが、此処トルデシージャスは広大な敷地にレストラン、会議室、客室、サロン、大きなプール、そして別棟には結婚式などに利用されるコンベンションホールまである贅沢なパラドールです。
リゾートとしての雰囲気をもつこのパラドールは一般の観光客よりも長期滞在のバカンスを楽しむ家族連れが多く、商用の滞在客、そして結婚式や会議にと幅広く利用されているのです。
部屋もサロン、レストランも取り立てて豪華というわけではありませんが広々として明るく清潔でとても心地よい雰囲気があります。
宿泊客の75%はスペイン人で、冬の閑散期(11月−1月)には会社の会議等に利用されています。94年にはスペイン国王も宿泊され、政治家なども立地のよさから宿泊する事が有るということです。
☆ トルデシージャス条約
1493年3月第一次航海からコロンブスが帰るとスペインのカトリック両王はその発見した諸島の領有権をローマ教皇に願い出ますが、すでにポルトガルにも1479年のアルカソバス協約によって以後の発見地の領有権を与えていた教皇アレハンドラ6世は、アソーレス諸島とベルデ岬諸島西方100レグア(約560km)の地点を通る分割線を引き、その西方地域をスペイン領土、東方地域をポルトガル領としました。
その後、ポルトガル王ジョアン2世はカトリック両王と折衝し、スペインの領有権をベルデ岬諸島西方370レグア(約2060km)の地点に改めさせてコロンブスが新大陸発見の2年後、1494年6月7日にトルデシージャスにおいて条約が締結されたのです。
いずれにせよ、大航海時代にはこのように勝手に未開の地をスペインとポルトガルで地球を分割してしまったのです。
しかしこの分割の線引きが西方に変えられたことによってブラジルはポルトガルに支配され、現在も南米唯一のポルトガル語圏となっているのです。
そして、前述したように、このトルデシージャスの町はその後、カトリック両王の次女、「狂女王フワナ」がのちに幽閉される土地でもありました。
1504年、フアナは母イサベル1世の後を継いでカスティーリャ女王となりましたが、1506年に夫フェリペ1世に先立たれてから彼女は死ぬまでサンタ・クララ修道院のに1509年から亡くなる1555年まで、フアナは修道院内に閉じこめられていました。
しかしフアナの部屋がどこかはわかっていないとのことです。
by“よっぴ”