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第60回 カディス

はろはろ!こんにちは〜!“よっぴ”の「パラドール紀行」です。
今回は紀元前1100年頃にフェニキア人によって作られ、その立地条件から18世紀にはヨーロッパで最も重要な港として様々な歴史の舞台となったカディスのパラドールを紹介しましょう。
現在、カディス(Cadiz)はアンダルシア州・カディス県の県都としてスペイン西部の港湾都市として重要な役割を果たしていますが、元々は紀元前10世紀頃に地中海交易で活躍していたフェニキア人が築いたヨーロッパ最古の町であり、13世紀半ばにカスティーリャ王国のアルフォンソ10世がイスラム勢力から奪取してスペインの領土としたものです。

大航海時代には、クリストファー・コロンブスがカディスより第2回目と第4回目の航海に出ています。 その後、アメリカとの貿易を独占してきたスペインは貿易の拠点を上流のセビージャからアクセスの良いカディスに港を移し、カディスはスペインで最も国際的な街となり、アメリカ貿易の拠点港となりますが、そのためカディスはスペインの敵国イングランド艦隊の攻撃目標となり何度か攻撃を受け占領もされています。
 
18世紀初頭のスペイン継承戦争でブルボン家のフェリペ5世のスペイン王位が承認されると、商業活動の振興を図るボルボン家のもとでカディスはさらに発展します。
20世紀、スペイン領モロッコで蜂起したフランコは、モロッコとイベリア半島を結ぶ重要な拠点としていち早くカディスの港を占領しています。

「カディスの赤い星」(講談社文庫)という逢坂剛氏の小説があります。
伝説的なギター「カディスの赤い星」をめぐって前半に日本、後半にスペインが舞台になるミステリー冒険小説です。
逢坂氏はこれで1986年第96回直木賞などを取り、一躍人気作家となりました。

第60回カディス 
名称大西洋のホテルHotel Atlantico

セビージャから列車、クルマとも約2時間で数々の歴史を残す町カディスに着きます。
銀のスプーンと呼ばれる半島の町カディスの先端、ヘノベス公園の中に建つ近代的リゾートホテルがカディスのパラドールです。



しかしながら、1929年Gredosに次ぐ2番目に古いパラドールとしてオープンしたという歴史があります。
一時期パラドールから離れて民間の Hotel Atlantico として営業されていたのですが再びパラドールに戻ったものです。そのため地元では以前のままのHotel Atlanticoの名で知られています。
2012年9月1日に全面的な改装を終え、リニューアルオープンしました。
大西洋に面し、全ての客室にテラスがついていて、大西洋の素晴らしい眺望が広がります。 リゾート気分を満喫できるパラドールのため、やはり夏がシーズンのピークで11月-1月の冬場はオフシーズンとなりますが2月には有名なカーニバルでまた混み合います。
バケーション以外にも、もちろん一年中会議などに利用されています。

家族連れも多くて、夏のシーズンでは子供を預かるシステムもあり、特別に子供の遊び場も設けられています。 リゾートで滞在する人が断然多いため、大西洋を望む屋外プール、サンデッキ、スパなどの他、娯楽施設(ピンポン、サッカーゲーム、ビリヤード等、)も充実しています。

大西洋に広がるレストランでは食事時にスペインらしくギターの生演奏が入り、夜はバーでピアノetcの音楽も楽しめます。
大西洋に沈む夕日を眺めながらの夕食は格別な味わいです。
海の幸の豊富なCadiz、食前酒のシェリー酒、お食事のお供には地元のワインBarbadilloをお勧めしましょう。

カディスはカナリアのテネリフェ島と並んでスペイン中で最もカーニバルの盛んな町として知られています。
町そのものは小さくて割と近代的で1,2時間で歩けてしまいます。

美術に興味のある人はサン・フェリペ・ネリ教会(Iglesia de San Felipe Neri)に行ってみましょう。 祭壇の上に飾られたムリーリョの「無原罪のお宿りInmaculada」が必見です。
この教会は1812年フランスの支配下で愛国的スペイン人による国会が開かれ「自由主義」の憲法「カディス憲法」が発布されたところでもあります。

パラドールからクルマで30分ほどでGuadalquivir川河口の町Sanlucar de Baramedaまで行くことができ、そこから世界遺産Donana国立公園への船の散策のツァーもあります。


☆ シェリー酒(ヘレス酒)

カディスから北に約50kmヘレス・デ・ラ・フロンテーラJerez de la Fronteraという町があります。 このヘレスの町こそ世界的に有名な「シェリー酒」の産地です。
このヘレスの地名がそのまま英語名でシェリーになったといいます。

シャンパンという名称がフランスのシャンパーニュ地方で生産された発泡酒しか使えないのと同様に、1891年のマドリッド協定により、このヘレスと近隣のサンルーカル・デ・バラメダ、プエルト・デ・サンタ・マリアで生産されたものしか「シェリー酒」を名乗ることは出来ないのです。
ところで、シェリー酒はvinoワインでありながら瓶に収穫年度が記されていません。
これは古いワインと新しいワインとをブレンドするからで、ボデーガ(Bodega醸造所)を見学するとわかりますが、樽が3,4段に積み重ねられており、上から新しいワインを古いワインの入った樽に流しブレンドをするのです。 これはソレラSoleraという方法で、一番下の樽から熟成されたシェリー酒が取り出されるのです。
一番下の樽には数百年前の酵母が残っているのだそうです。 
そして、ここで使い古されたシェリー酒の樽はスコットランドに輸出されるのです。
本場スコットランドのスコッチウィスキーにはこの酵母が付いた古い樽が必要なのだというのですから面白い。

シェリー酒には主に「フィノFino」淡い金色の辛口ワイン、「アモンティラードAmontillado」フィノを熟成させたミディアムドライ、「オロロソOloroso」濃い金色で香ばしい、「ドゥルセDulce」甘い黄褐色のクリームシェリーの4種類があります。
ヘレスの町中にはたくさんの有名なボデーガがあり製造過程を見学することが出来ます。
見学のアトには試飲もあり、モチロンお土産に買うことも出来ます。

シェリー酒とは全く関係ありませんが、オートバイ好きの方には、このヘレスには毎年五月に開催される有名な世界二輪GPがあります。

by“よっぴ”